マルちゃん杯少年柔道大会

1986年から、小学生・中学生を対象にマルちゃん杯少年柔道大会を主催しています。現在全国7地区で開催されている大会には、年間でおよそ1,500チーム、10,000人の子供達が参加しており、これまでの大会の参加選手の中からは、国際大会等で活躍する選手が何人も誕生しています。

大会開催の経緯と主旨

当社は、1972年にアメリカに現地法人を設置し、1977年よりロサンゼルス郊外で即席麺の現地生産を開始しました。その後、1984年に同地で開催された第23回夏季オリンピックロサンゼルス大会において、公式麺製品に認定されました。その際、当時のオリンピック組織委員会より、今後平和でより良い社会を推進するには、各国が協力し、スポーツなどの活動を通じて青少年に対する働きかけを行っていく必要があり、日本は伝統ある武道の良さを生かした取り組みをしてはどうかとの意見がありました。そこで当社では、柔道を通じ、将来を担う子供たちの心身の健全育成のお手伝いが出来ればとの考えに立ち、全日本柔道連盟や各都道府県の柔道連盟にご協力をいただき、1986年より本大会を開催することになりました。柔道の稽古や試合を通じて、多くの少年・少女に健康で丈夫な体と、礼儀や道徳を重んじる心、友情やフェアプレーの精神を育んでほしいと考えています。

大会の歴史

1986年8月 宮崎県延岡市にてマルちゃん杯少年柔道大会の最初の大会となる「第1回西日本少年柔道大会」を開催(第10回大会より九州大会に改称)。
1987年3月 北海道札幌市にて「第1回北海道少年柔道大会」を開催。
1988年8月 宮城県仙台市にて「第1回東北少年柔道大会」を開催。
1989年7月 各大会の最優秀選手に贈られる「フレッド・ワダ杯」を設立。
1989年8月 愛知県名古屋市にて「第1回中部少年柔道大会」を開催。
1991年6月 東京都足立区にて「第1回関東少年柔道大会」を開催。
1995年6月 広島県広島市にて「第1回中国・四国少年柔道大会」を開催。
1996年4月 兵庫県神戸市にて「第1回近畿少年柔道大会」を開催。
2005年5月 「第18回東北少年柔道大会」にて中学生女子の部を追加し開催。
2005年6月 「第20回九州少年柔道大会」、「第17回中部少年柔道大会」にて中学生女子の部を追加し開催。
2008年4月 「第13回近畿少年柔道大会」、「第14回中国四国少年柔道大会」、「第18回関東少年柔道大会」、「第22回北海道少年柔道大会」にて中学生女子の部を追加し開催。
2012年9月 「全日本選抜少年柔道大会」を「マルちゃん杯全日本少年柔道大会」と改称し、各地区大会の全国決勝大会として開催

表彰

マルちゃん杯各地区大会では、上位入賞チームに対する団体表彰と共に、優秀選手・敢闘選手の表彰を行っています。
また、1989年には、最優秀選手に対する特別賞として「フレッド・ワダ杯」を設置しました。「フレッド・ワダ杯」の歴代の受賞者の中には、井上康生さん(1990年九州大会小学生の部、1993年 同 中学生の部)、鈴木桂治さん(1992年関東大会小学生の部、1995年 同 中学生の部)、泉浩さん(1997年関東大会中学生の部)など、子供たちが目標とする多くの名選手が名を連ねています。

フレッド・ワダ杯

1964年の東京オリンピック開催に尽力された日本オリンピック委員会名誉委員和田勇(米国名フレッド・イサム・ワダ)氏より、
本大会の開催趣旨に賛同を頂き、「少年達の励みになれば」との意思を受けて、その名が冠せられた。

フレッド・ワダ氏プロフィール

1907年 アメリカ ワシントン州生。
日系二世として米国に生れ、ロサンゼルスでスーパーマーケットを経営する実業家として成功を収めた。
日本スポーツ界との縁が深く、古くは1948年全米水泳選手権に参加した古橋広之進・橋爪四郎選手等に自宅を開放し、物心両面で協力して大記録樹立を側面から支援した。
東京オリンピック開催に向けては、祖国の国際化・早期発展を願う使命感から、諸外国に対し協力要請の働きかけを行い、見事に大会の招致・成功に導いた。1984年のロサンゼルスオリンピックでも、日本柔道代表団の世話を行った。
スポーツ以外でも、米国における日系人社会の地位向上や老人ホーム設立等の社会活動、日米両国の貿易発展・友好親善の増進にも多大な足跡を残した。2001年2月死去(享年93歳)。

過去の戦績

「マルちゃん杯少年柔道大会」の過去の大会の上位入賞チームを、地域ごとに紹介しています。

Smiles for All.すべては、笑顔のために。